都市に住み、クリスタルボウルを演奏する理由

今日はふと思い立って那須高原へ行ってきました。青空と月がキレイでした。自然の中のリズムはとても心地よく自分を調整してくれます。

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さて、いわゆる都会暮らし・都市生活は「人のつながりが稀薄である」と言われますが、私はそうは思いません。

たとえば私はいま、東京の台東区というところにあるマンションに暮らしています。このマンションのエレベーターは、誰かが保守・点検してくれています。ゴミはゴミ置き場へ置いておけば、お掃除の方がゴミの日に合わせて出してくれます。少し歩けばたくさんの商品を売っているスーパーがあり、外食をしようと思えば世界中の料理を食べることができます。

すべて、誰かが誰かのためにやっていることです。

反対に自給自足ほど孤独なものはありません。自分で作って自分で食う。そんな日々を精神的に満足させるのは大変なことだと思います。

もちろん、都市生活のアレコレは「お金」というものが介在しているから成り立っているという見方もできます。しかし、この「お金」というのも、ものすごい相互信頼です(だから相互信頼のない国だと海外通貨のドルとか腕時計とかのブツでやり取りされていたりします)。

そして、都市生活というのは非常に効率的です。

狭い範囲に最大限の住居を作り、送電線を張り巡らせ、Wi-Fiを飛ばし、交通網を整備する。田舎の一軒家なんて、その一軒のためだけに電線やら電話線やら水道やらガスやら郵便やら、どんだけ面倒くさいことをさせるんだと思います。

長い時間をかけて効率化を求めてきた結果が都市生活であり、効率化の結果として莫大な利益を上げ、日本の経済をドライヴさせ、文化を発信し続けています。

その一方で、都市生活だと忘れてしまうことがあります。それは、その暮らしが誰かが誰かのためにやっていることで成り立っているという事実や、効率化を追求するあまりに人間が心地よいと思える自然のリズム感の安らぎです。

私はそれを思い出すために、クリスタルボウルを演奏しています。誰かが誰かのためにやっていることで、この世界は成り立っています。

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