よく聞かれるけど、そういえば書いてなかったので書いてみます。
いまからもう10年以上前、2004年の秋。私は長い旅を終えて東京に戻ってきました。
すぐにまた新しい旅を始める予定だったので、それまで住んでいた目白の家を引き払い、当時の私はいわゆる「住所不定無職」の状態。
特に目的や、行きたい場所があったワケではなく、どこかまだ見たことのない世界を見てみたいという気持ちだけ。自転車で日本一周でもしようかなと考えていました。
旅の準備を進めていましたが、2004年の秋は台風の当たり年で、なかなか出発ができそうにないまま時間が過ぎていました。
ちょうどそのころ、東京の東側のエリア全体を使ったアートイベント「Central East Tokyo」が行われていました。
どういうキッカケでそのイベントを知ったのか記憶にないのですが、時間もあるからちょっと見に行ってみようと思い、人があまりいない電車に乗りました。平日の午前中、向かいの席では小学生くらいの女の子ふたりが遊んでいました。
「こんな時間に小学生がいるんだな」と、なんとなく気になったまま、会場近くの駅で下車。展示されているアートを見て回りました。
平日の午前中ということもあってこちらも人は少なく、ゆっくり過ごしていたら、さっきの女の子たちと出会いました。アートインスタレーションで大笑いしているふたり。ほかに人もいないので、お互い、なんとなく印象に残ったような気がしました。
お昼になり、なにか手軽に食べようと思ったけれど、ちょうどよさそうなご飯屋さんがどこにもありません。うーん、仕方ないかと思ってファミレスへひとりで入りました。
「では、こちらへどうぞ」と案内されたところは、さっきの女の子たちとご両親、お婆ちゃんの隣りの席でした。
「あれ?あのお兄ちゃんだ」
「あ、また会ったね」
「あら、お友達ですか?」
「なぜか今日はよく会うんですよー」
そんな挨拶をしていたら、「これも縁だと思うので」というようなことを言われて、一枚のチラシをいただきました。
そこに書いてあったのは「クリスタルサウンド・ヒーリング」という言葉。水晶の楽器・・・ヒーリング・・・?
「今日の夜にやるんで、もしよろしければ」
女の子たちのご両親が、クリスタルボウルの奏者だったのです。
私はそれまで、いわゆるヒーリング系のイベントや、スピリチュアル系のイベント(当時はいまほど盛んではなかったと思いますが)にはまったく参加したことがありませんでした。
だけど、妙に興味を持ちました。今日の不思議な出会いからのつながり、行ってみようと思いました。
チラシに書いてあった場所に到着すると、まず面食らいました。
ビルの屋上が会場だけど、ひとりずつ静かに階段を使って登ってきて欲しい。エレベーターは使わない。階段の要所要所へ、インセンス(お香)が焚かれているので、香りを意識してみて欲しい。
そんな案内がありました。すごい・・・。これは楽しみだ・・・。
ゆっくりと階段を登り、屋上に到着。初めて見る「クリスタルボウル」という楽器。
「それでは、頭を北向きにして寝転がってください」と言われ、屋上から空を見上げます。心地よい風。都会の中だけど、喧噪のない世界。
ゆったりと始まる演奏。あっという間に気持ちとカラダが音に持って行かれます。
静かに終わった後、私は大いに悩みました。
何かを見つけるべく、旅に出ようとしていた。だけど、この体験は何だ。この圧倒的な体験は何だ。いまここで東京を離れてしまうと、たとえば1年後に東京へ戻ってきて、自分の成長より、東京の進化の方が速いんじゃないか。この体験を知ったまま、別の場所へ行ってしまってよいのか・・・?
そして、もうひとつ悩みがありました。
この体験は、私だけが感動しているのだろうか。私のまわりにいる友人たちはどう考えるだろう。
とにかく、もう一度確認する必要がありました。
「あ、あの!次にまた演奏するイベントってありますか?」
「それが、しばらくは予定がないんですよ」
「それだったら!私が場所とお客さんをセッティングするんで、ぜひやって欲しいんです!」
・・・こうして、ムリヤリに奏者のお二人と仲良くなって、東京都内のスタジオで2回、南伊豆のキャンプ場で1回(ここでも不思議な出会いがありました)、そしてプライベートな演奏で1回。合計わずか4回の演奏をご一緒させていただいた後、やはりこれは自分でも追求してみたい・・・と思って、アメリカからクリスタルボウルを購入したのが、私の演奏者としてのキャリアのスタートです。
だけど、「自分でも演奏したいから教えてください!」とは言い出せませんでした。それはあまりに安易が気がして、たとえば私は何かの「コツ」を訪ねられるのがとても苦手でした。コツなんてものは、経験から導き出されるものであって、最初から楽をしようと考えているように見えてしまうのです。
「私もクリスタルボウルをやってみます。そのかわり、全部独学でやります」
そんな宣言をしたかどうか覚えていませんが、演奏方法については誰に学ぶでもなく、あーでもない、こーでもないと悩みながら、3年くらい経ってようやく納得できるようになりました。
誰からも習っていないので、誰かに教えることも抵抗がありました。あくまで真摯に向き合いたかったので、カルチャースクールみたいにすることや、フランチャイズ展開をすること(冗談みたいですが、そんな話を持ちかけられたことがあります)とは距離を置きました。
ただ、最近は自分の演奏を気に入ってくれる方も多いし、10年続けてきたので「筋」も通せているかなと思うところがあるので、教えて欲しいという人には、なるべく時間を作るようにしています。
トリックスターという存在があります。本人たちは気づいていないまま、その無邪気さの側で世界に大きな変革をもたらす存在です。私に取ってのトリックスターは、間違いなくあの女の子たちでした。
(後編へ続く)