あのとき寄付サイトを作ったことを、いまでも考え込むことがある

熊本地方での地震によって被害に遭われた方へ、心よりお見舞い申し上げます。

今日はちょっとモヤモヤとした話です。

2011年3月11日の東日本大震災の翌日、ちょっとびっくりな電話を受けました。

「出勤できる?募金サイトを作って欲しいんだけど?」

え?マジで? 昨日の今日で出勤?(ちなみに土曜日です)

「こういうのは早い方がいいからさ、地下鉄は動いてるでしょ?」

すごい会社だなと思いつつ(ちなみに誰でも知ってる会社です)、ガラガラの電車に乗って会社へ到着。暗いオフィスにこもって上司と電話でやり取りしつつ余震を感じつつ、お昼ごろには募金サイトを公開しました。震災発生から24時間経っていなかったと思います。

早かったこともあってか、そのサイトには最終的にかなりの額の募金が集まったようです。

募金をすることはいいことだと思います。しかし、私はその後ずっとこの言葉に苛まれることになりました。

「もう募金したよ」

なにか、「もう俺は役割を果たしたよ」というような言葉に聞こえました。

いやいや違うだろ!いままさに立て直すときだろ!なんだその免罪符みたいな言葉!

そして、会社帰りに被災地ボランティアへ行くために巨大な荷物を持って出社すると「まだ行ってるの?」とよく言われました(そのころは金曜まで仕事して深夜に東北道をレンタカーで疾走して土日に作業して帰って月曜は会社ということをやっていました)。

募金をすることはいいことだと思います。しかし、終わったと思わないことは、同じくらい大切だと思います。まずは、これ以上の被害が出ないことを。

東北もまた行きます。満開の桜の下にテントを張って、世界の美しさと残酷さに涙した日を忘れることはないでしょう。

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