私がクリスタルボウルの演奏を続ける理由

先日、私とクリスタルボウルの出会いについて書きました。

私とクリスタルボウルの出会い【前編】

私とクリスタルボウルの出会い【後編】

今日は、なぜクリスタルボウルの演奏を続けているのかについて掘り下げてみます。これは、私が自分自身を知るための記述であると同時に、皆さんにも「自分がこだわっていること」を掘り下げてみていただくキッカケになること、それによってさらに「自分らしく」生きていくキッカケになることを望んでの記述です。

幼少期の記憶でもっとも鮮明に覚えているのは、病院と布団、動かないハズの天井の模様を(意識の中で)動かして遊んでいた日々です。私は身体が悪かったため、とにかく手間のかかる子供でした。体力がなく、幼稚園や小学校は休みがち。小学校の制服は本当は半ズボンなのに、ひとりだけ長ズボンを履かされて登校したこともありました。

いまでも明るい時間に昼寝をすると、そのころの感覚が蘇ってきます。窓の外では同級生が楽しそうに遊んでいる声がする。だけど、自分は保健室で布団に入って天井の模様を動かして遊んでいる。

みんなとは違う自分、みんなとは一緒になれない自分。悲しいとか寂しいではなく、当たり前の認識の下にそんな自分がいました。

また、私のアーティスト名である「マガリ」は完全に偽名です。10年以上の偽名なのでほとんど本名みたいになっているし、会社名も「合同会社マガリ企画」にしたので、屋号みたいな感じにもなりましたが、本名ではありません。

私は本名がとにかくややこしいです。名字も名前も難しいです(聞かないでくださいね)。偽名を使うまで、「お名前は? あ、えーと、珍しいですね」というやり取りを数え切れないほど繰り返してきました。「名前という自分そのものを表す文字列が、みんなには理解してもらえない」というアイデンティティの喪失を抱えていました。

みんなと一緒になれない自分は、みんなとは違うところへ価値観を求める子供になっていきました。要するに、ちょっとヘンな子です。

みんなと同じことができないから、自分だけの価値観を持つしかなかったとも言えます。

中学生くらいになると体力も少しずつついてきて、ようやく学生生活を楽しむことができるようになりました。しかし、そこでまた私を困らす出来事が起きます。

私は少し目立つ顔立ちをしていたため、まったく知らない女子生徒からいきなり好意を持たれることがよくありました。だけど、私は勉強やスポーツで1位を目指すような優秀な子ではなく、親や教師に反抗するカッコよさを持った子でもなく、かといって成績が悪いわけでもなく、常に周囲を「ナメて」かかっているような、なかなか面倒な存在になっていました。そうすると、恋愛に憧れているような女子生徒たちは「あ、この人はなんか違う」と気づいて離れていきました。「自分のことを知らない間は好意を持たれるのに、知られると離れていく」という事実は、私の青春を大いにこじらせました。

その後、東京の大学へ進学をします。華やかな大学生活がスタートできるかと思いきや、私は「お酒がまったく飲めない」という致命的な内部事情と、「田舎育ちすぎて東京の会話について行けない」という屈辱的な外部事情がありました。大学のノリに乗り切れることなく、19歳のころは半分ひきこもりのような毎日。ひとり部屋で本ばかり読んでいました。

大学生活がそろそろ終わるというころに、ようやく救いとなる出会いに恵まれます。

クラブミュージック、クラブカルチャーとの出会いです。元々そういう音楽が好きだったということもあり、なんとなく遊びに行った「クラブ(大きなスピーカーから音楽を一晩中流しているお店。ホステスさんのいるクラブとは違います)」。そこは、本当に音楽好きだけが集まる空間で、誰も他人のことを構っていませんでした。知らない人から話しかけられることもなく、お酒を飲む必要もなく、好きな音楽を一晩中聞いていられる空間。

そうして私はたくさんの時間をクラブミュージック、クラブカルチャーと過ごしてきて、ある日たくさんの偶然が重なってクリスタルボウルと出会いました。

それは本当に大きな衝撃でした。前知識が一切なかったこともあり、「音にはこんな力があるんだ!」と素直にビックリしました。たくさんの音楽に触れてきていた自信があったのに、すべてをひっくり返されました。

そして、自分でも演奏するようになり、さまざまなアイデアを組み合わせてイベントを行いました。

野外でテントを張ってキャンプ・インにしてみたり、新月・満月の夜に代々木公園でやってみたり、砂漠でやってみたり、古代湖でやってみたり、離島でのリトリート、ピラミッドや洞窟、船の上、岩盤浴、プラネタリウム、完璧な暗やみ・・・。

それは、いままで自分が体験してきて「おもしろい!」と思ったことの組み合わせ。

そして、そこへ来てくれたお客さんが同じように「おもしろい!」と感じてもらえるとき、本当に「やった!」という気持ちになります。「でしょ!」みたいな気持ちになります。

私はクリスタルボウルの演奏家として、まだまだ修行中の身であると常々言っているのは、そんな理由もあります。私はまだ、完全に「あなたのため」だけには演奏できていません。あなたに喜んでもらえることが私の喜びです。さんざんヘンテコだった私をあなたに認められたくて、あなたと対等になりたくて、大いなる不安や集客の苦労と対峙しながら「これどう?」という問いかけを続けています。

聖人ならば、我が身を削ってでも誰かのために奉仕すべきでしょうが、私はまだまだそうはなれそうにありません。

私はヒーラーではないと思います。表現者・アーティストです。

私がクリスタルボウルの演奏を続けているのは、表現を続けることでようやくあなたと対等になれるからです。そしてそれを喜んでもらえることが、とても嬉しいからです。

さて、2016年はどういう音を鳴らしてみましょうか。またどこかの空の下で。

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