8年前のあの日、私はくやしくてたまらなかった。
スピリチュアルなパワーが存在するというのなら、なぜ災害を止められなかったのか。
人は運命を背負って生まれてくるというのなら、彼・彼女らにどんなカルマがあったというのか。
なにも写っていない渋谷の街頭ビジョンはモノリスのようで、すべてが戯れ言に思えてきた。
無力感の一方で、妙な -不謹慎な言い方をすれば心地よい- 一体感も感じていた。
多くの人が助け合おうとしていた。何かできることはないかと立ち上がろうとしていた。
「ウチの事務所に泊まることできるよ」「車があるから迎えに行くよ」「ひとりだと怖いし、ちょっと集まろうか」
そして、何かできることはないかと被災地へ足を運び、さらに大きな無力感と、さらに大きな -不謹慎な言い方をすれば心地よい- 一体感を感じることになった。
あれから8年。
私は少しでも強くなれただろうか。私たちの中にあった一体感の灯火は消えていないだろうか。
ん、たぶん、あんまり強くなれてはいないかな。じゃ、もっと一体感、そう、みんなで、未来は、どう? あなたは。
※画像は震災から4日後の3月15日、渋谷駅前にて撮影