メメント・モリ(クリスタルボウルとは関係のないお話です)

今日はクリスタルボウルとは関係のないお話です。お正月、皆様いかがお過ごしでしたでしょうか。私は久しぶりに地元へ帰省し、要介護度5という最高ランクに認定されて寝たきりとなった祖母と対面してきました。

体を動かすことはもちろん、喋ることもできず、わずかに眼球を動かすだけの祖母。私は祖母家系の血を濃く受け継いでいるので、自分とよく似た顔の老人がベッドに横たわっているのは、なんとも不思議な気持ちにさせられました。

まわりがガヤガヤとうるさく、テレビもついたままだったけど(なぜ老人施設はいつもテレビがつけっぱなしなのか・・・)、しばらくその顔を眺めながら考え事ができたのは、よい時間でした。

私は過去に2回ばかり臨死体験をしたことがあります。1回目は誰もいない砂漠の真ん中で熱射病になり、意識を失いました。幸運にも意識を取り戻し、さらに幸運なことに湖に飛び込めたけれど(マンガのようですよね)、何かが少し違っていたら確実に死んでいただろうなと今でも思います。

もう1回はあまり詳しく書けませんが、死にかけ体験をしました。そのときは、最初は「うわー、ここで死んだら貯金が少ないこととかバレてカッコ悪いな」とか「部屋の中を見られるの恥ずかしいな」とか思っていたけど、次に思ったのは「ま、これでおしまいだから仕方ないか。やっと肉体を捨てて精神だけの世界に行ける!楽しみ!」という、なんだかひどくポジティブな感情でした。そして、ポジティブだったためか生き残りました(たぶん、死神に「反省が足らん」という判断をされたのだと思います)。

目の前にいる祖母は私の臨死体験とは違い、緩やかに死へと向かっています。

体の自由がひとつずつ利かなくなり、脳が萎縮して思考が少しずつままならなくなり。

いま、祖母が感じている世界はどんな世界なんだろう?と思います。

わずかに眼球を動かして、その先に見えているのはどんな光景なんだろう。目で見える像は脳で結実されたものとすれば、ひょっとしたらまったく別の、たとえば祖母の青春時代(戦時ですが・・・)の光景なのかもしれません。

私は子供のころ、「自分が死んだら自分という意識はどうなるんだろう?」とずっと考えていました。たとえばいま「私」という意識があります。目を閉じても、頭の中だけで「私」という存在はここにあることを確認できます。でも、死んでしまったときには、この「私」という感覚はどうなるのか? 完全に無になってしまうのか、テレビでやってる地縛霊のように意識だけがそこに残るのか。

その答えが、祖母の顔を見ていたらなんとなく分かったように思えました。

「私」という意識は誰かの中に残り、そこに「私」が存在し続ける。一心同体というか、私がたくさんの人に吸収されるような。私は無になるわけでもなければ、意識だけが残るでもなく、たくさんの人になる。

ほかの親族は(失礼ながら)死後に対面することが多く、こういった時間を過ごすことがなかったので、今回はとてもいい学びになりました。長生きするもんだね!ようやくあなたの孫は気づきましたよ。眼球しか動かせない人からそんなに学ばされるのだから、まだまだ修行が足らないなと思いました。

さて、2016年も東京でがんばります!

Magali Luhan

水晶から作られた楽器「クリスタルボウル」を使い、心地よい音色で心身に変化をもたらすサウンド・バス アーティスト。東京・浅草橋「studio PLAYA」運営、Crystal Sound Laboratory代表。

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