6年前の3月11日。この日の出来事は、本当にくやしく、悲しく、自分がどれだけ無力かを思い知らされました。
私は、誰ひとり助けられませんでした。
その当時は東京で会社員をやっていたので、直接的な被害があった地域とは違います。しかし、それでも助けたかった。助けられなかったことがくやしくてたまりません。
ボランティアセンターがいち早く立ち上がった宮城県・亘理町へ通いました。レンタカーを頻繁に借りていたらレンタカー会社から怪しまれてしまい、当初は風評被害的なことも意識して「被災地へ行っている」ということは隠していたけど、「実は・・・」と切り出してみると、次からは大幅に割り引きしてもらえるようになりました(ありがとうございます)。
亘理町のお隣の山元町や、陸前高田、牡鹿半島、福島。さまざまな場所で時間を過ごしました。
行くたびに、本当にくやしく、悲しく、自分がどれだけ無力かを思い知らされました。
腹ばいになって床下の奥深くに潜ってドロをかき出していたとき、一瞬パニックになりかけたことがあります。「こんなところにいて余震が起きたら脱出できない!」という恐怖が突然に襲ってきました。「怖い!」と思ってまわりを見ると、同じようにもぐっている仲間たちのヘッドライトの明かりだけが目に入りました。
なぜか、それで落ち着きました。でも、あのときの感覚は忘れられません。
私はまだ、被災地へ向けての演奏というのは行えていません。そこへ意識を集中すると、とても平常心を保てないからです。まだまったくあの出来事を理解できていません。
すべてのスピリチュアル、占い師はあの出来事を止められなかったという時点で無力だと思っています。
だからこそ私たちは、ひとりひとりがコツコツと、真摯に、取り組むしかありません。神がかったパワーに期待してたってダメです。
私はクリスタルボウルを演奏する人ですが、私自身には何も特別なパワーはありません。あるとすれば、ちょっとの技術と気遣いだけです(そして、それは誰でも身につけられるものです)。
そんな私の演奏でも、たくさんの人から支えてもらっています。誰かが誰かを癒やすのに、特別なパワーは必要ありません。それと同じく、被災地を復興することに、特別なパワーは必要ありません。
美しい桜を見て、おいしい海産を食べて、温泉に入って。
国道六号線が使えるようになったし、東京からでもアクセスよいです。
うん。やっぱりアタマがまとまらないですね。もっともっとこの現実と向き合っていきます。