ヨーガ・スートラに学ぶ、集中・瞑想・三昧のクリスタルボウル演奏について

1980年代。工業用機材の「石英るつぼ」を叩くと、ものすごい音が出ることに気づいたアメリカ人たちは、石英るつぼを「クリスタルボウル(Crystal Singing Bowl)」という楽器として使用し始めました。その後、イタリア人のアワホシ・キャバン(シスター・バッカ)がサウンド・ヒーリングのツールとして体系立て、リトリートイベントや奏者の育成をスタート。

静かに確実に、世界中にクリスタルボウル奏者が増えていったわけですが・・・

現在のクリスタルボウル世界は、まだまだ発展途上の状態です。「全米ヨガアライアンス」のような横断的な組織はなく、それぞれの奏者が自分なりの理想を求めて切磋琢磨しています。

クリスタルボウルそのものにも複数の種類があるため、一言で「クリスタルボウル奏者です」とか「クリスタルボウルを販売しています」と言われても、内容はかなり違っている状態です。

 

日本国内だけを見ても、老舗の「日本クリスタルボウル協会」さんの演奏方法と・・・

複数の支部を持つ、最大手の「CRAヒーリングスクール」さんの演奏方法と・・・

私が実践する「サウンド・バス」の演奏方法と・・・

それぞれ違っています。そして私だけ顔を隠していてゴメンナサイ。

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これは、何が正しくて・何が間違っているというものではなく、「いろいろある」という状態なので、自分に合うものを見つけられたら素敵だと思います。

 

歴史の浅いクリスタルボウルには、ヨガのような「古典」や「伝統」が存在しないんですよね。

だからこそ、他に存在する古典から学ぶ部分はとても多いです。お寺や教会に行くのも、本当に勉強になります。

本日は、ヨガの経典「ヨーガ・スートラ」で説かれている、「集中(ダーラナ)→瞑想(ディアーナ)→三昧(サマディ)」の3つの流れをクリスタルボウル演奏に活かす方法を、私が主催する「クリスタルボウル サウンド・バス スクール」のカリキュラムと合わせてご紹介します。

集中・瞑想・三昧のクリスタルボウル演奏方法

「クリスタルボウルの演奏に楽譜はなく、即興で行うもの」と言われます。また、そのように演奏されている方も多いと思います(私もそうです)。

しかし、「インスピレーションで演奏しましょう」や「宇宙のエネルギーを感じて降ろしてみましょう」というのは、初心者の方にとっては非常に難しいものです。演奏している最中に「これでいいの?」という疑問が湧いてきたり、「何をやってよいのか分からない」と混乱した経験を持つ奏者さんもおられるのではないでしょうか(私もあります)。

もし、上手に演奏できたとしても、次のときに同じように再現できなければ、それはラッキーヒットのアクシデントみたいなものですし、その演奏内容を理論立てて説明できなければ、誰かに教えることはできません。

「インスピレーションで演奏しましょう」や「宇宙のエネルギーを感じて降ろしてみましょう」というのは、ヨーガ・スートラにおける「三昧(サマディ)」の段階へ、いきなり到達せよと言っているようなものです。

クリスタルボウル サウンド・バス スクール」では、ヨーガ・スートラと同じく、最初は「集中(ダーラナ)」から始めます。

集中(ダーラナ)のクリスタルボウル演奏とは

クリスタルボウルはボウルひとつにつき・ひとつの音階のある楽器です。複数個を組み合わせて、ハーモニーを作ったり、展開を作ったり、さまざまな演奏方法ができます。

そして、「音」は私たちの精神に大きな影響を与えます。キレイな音、怖い音、不安な音・・・。音程(音階)だけでなく、演奏のリズムも大きく作用します。

クリスタルボウル サウンド・バス スクール」では、スクール受講者さんのボウルが有しているメッセージや役割を読み解き、それが聴者や環境にどのような影響を与えるのかを考えるところからスタートします。

次に、それらが「導入・変容・覚醒・帰着」という4つの「パート」のどこに最適なのかを考え、演奏のパターンを作ります。

たとえば、演奏の最初からドカドカとたくさんの音を鳴らしてしまうと、聞いている人の意識は突然の騒動に戸惑うかもしれません。最初は安心して音の世界へ入ってきてもらえるように、やさしい「導入」の音を作ります。

その後、ずーっとやさしい音のままでは体験が深くならないので、少し複雑な「変容・覚醒」を作り、最後は安心して現実の世界へ戻ってこれるように「帰着」でグラウンディングを行います。

「いま自分は何をやっているのか?」、「その音によって、聴者や環境にどのような変化を導いているのか?」を明確にし、集中して考えながら演奏をする「集中(ダーラナ)のクリスタルボウル演奏」が、クリスタルボウル演奏の段階の一番最初にあります。

 

ただし、集中して考えながらの演奏だと、ボウルのことばかり見てしまって、聴者の状態まで注意が届かないことがあります。調理に夢中すぎて、お客さんが来ていることに気づかないレストランみたいな感じです。

そうならないために、各パートの切り替えの合間に「無音」の時間を作り、演奏の手を休めて会場全体を見渡し、確認するようにしています。

集中の演奏ができるようになれば、次は「瞑想(ディアーナ)」の段階に入ります。

瞑想(ディアーナ)のクリスタルボウル演奏とは

瞑想(ディアーナ)のクリスタルボウル演奏」は、ボウルをじっと見ていなくても演奏ができる状態です。鳴らしながら会話をしたり、誘導の言葉のガイドをしたり、ヨガやマッサージ等とスムーズにコラボができるのが、この段階です。意識が「ボウルを鳴らす」という一点だけだったところ(集中)から、より広くなったわけです。

瞑想(ディアーナ)の段階に入ると、演奏はものすごく楽になります。

集中力を使わないので、ほとんど疲れません。身体からも緊張がなくなり、最小限の動き、最低限の力で音を作り出せるようになります。心身の力が抜けていると、音はとてもやわらかく響きます。演奏のパターンを再現することの多かった集中(ダーラナ)の段階を超え、その場の空気を感じ取りながら、さまざまに演奏をアレンジできます。1時間でも2時間でも演奏できるようになります。

 

ただし、瞑想(ディアーナ)の段階でも、ふと「あれ? 次は何を鳴らせばいいんだっけ?」となることがあります。そのときは「えーと、いまは帰着させるときなので、このパターンで鳴らそう」と、集中(ダーラナ)の段階に一度戻って、仕切り直しを行います。

集中(ダーラナ)と瞑想(ディアーナ)は完全に分離したものではなく、行ったり来たりするものです。実践の回数を積めば、少しずつ瞑想(ディアーナ)の状態を長く続けることができるようになります。反対に、集中(ダーラナ)ができなければ、いつも意識はドキドキしたままなので、瞑想(ディアーナ)に至ることはありません。

最後の段階に、「三昧(サマディ)」があります。

三昧(サマディ)のクリスタルボウル演奏とは

東京に「すしざんまい」という、有名なお寿司屋さんのチェーンがあります。ほかにも、「ゴルフ三昧の日々」や「読書三昧の週末」というように、「三昧」とは、他に何も考えることなく、対象と一体化している状態を指します。

三昧(サマディ)のクリスタルボウル演奏」は、思考を離れ、完全に音と一体化した状態です。

 

究極の状態のように思えるかもですが、クリスタルボウル演奏は(自己鍛錬のヨガと違って)多くの場合「聞く人ありき」の行為です。「セルフヒーリング」ではなく、誰かに届けるために演奏することが多いですよね。

その場合、奏者だけが三昧(サマディ)の状態に入ってしまうと、聴者を置いてけぼりにしたエゴの強い演奏になる恐れがあります。

 

私も過去に一度だけ、何も見えない完全な暗やみ空間でクリスタルボウルを演奏していた際、暗やみということもあってか、意識が「スポン!」と抜けたことがありました。「手を動かす」や「この音が鳴っている」という思考や感覚のフィードバックが一切なくなり、時間の感覚さえ消えて、無意識状態で演奏をしていました。

はっと我に返ったとき、がんばって集中(ダーラナ)の状態へ意識を戻しました。

もし、あのまま三昧(サマディ)の状態だったら、何時間も延々と演奏をしていたでしょう。お客さんを入れた有料イベントとしては、あってはならないことです。奏者の究極と聴者の究極が同じである保証はなく、そこを探り合いながら演奏を作り上げるのが醍醐味であり、奏者の究極をムリヤリ押しつけるのは身勝手な行為です。

そのため、スクールでは積極的に三昧(サマディ)に入る方法ではなく、その状態を垣間見ながらも、エゴの押しつけにならない演奏ができることを重視してレクチャーをしています。

というわけで・・・

とても長いブログになりました。というわけで、クリスタルボウル演奏も、ヨガのようにひとつずつ意識を作っていくと、大きな混乱を防ぐことができると思います。

繰り返しとなりますが、「集中(ダーラナ)→瞑想(ディアーナ)→三昧(サマディ)」はバラバラなものではなく、連続したものです。集中(ダーラナ)ができないのに瞑想(ディアーナ)に至ることはありませんし、安易に三昧(サマディ)を目指すのは危険を伴います。

ご興味ありましたら、「クリスタルボウル サウンド・バス スクール」へどうぞ。全国で出張開催しています。マンツーマンなのでしっかりじっくり学べます。

 

※上記はヨーガ・スートラを独自に解釈した「クリスタルボウル サウンド・バス スクール」の考え方です。ほかのスクール、ほかの奏者さんは、また別の考え方をお持ちのこともありますので、いろいろ体験したり、聞いてみてください

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